今秋、日中平和友好条約35周年を記念して本孔子学院では二つの講演会を行った。一つは「孫文と梅屋庄吉」(講師は梅屋の曾孫に当たる小坂文乃氏)、もう一つは「重光葵と中国」(講師はプランニング大分元編集委員の清原芳治氏)。これらの講演会で孫文に会った二人の大分県人を知った。小坂さんの講演では孫文の医師であった高野太吉、清原氏の講演では重光葵。高野太吉は佐伯市の出身。孫文が苦しんでいた胃病を治療した。高野は1916年に『抵抗養生論』を出版しているので、その治療法によって孫文を治療したのであろう。孫文はその著書の中で高野を名医と紹介している。重光葵は杵築市出身の外交官、政治家。重光は1921年10月、広東において孫文に面会した。このとき孫文55歳、重光37歳。孫文は新しく組織した第二次広東政府の非常大総統を務め、北京の軍閥政府に対する新たな革命を実行しようとしていた。重光は1929年2月上海領事、4月駐華大使館参事官兼務となり中国外交の中心を担う。高野太吉と孫文の関係、重光葵のアジア観、中国観に対する孫文の影響、これらについての今後の研究課題としたい。
2013年11月11日